第十三章

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「息子とその友人のことなら何でも分かる……そういうことにでもしておいてくれるかな。さて、これがその本だ」
 ロジャーの父、ハリーは丁寧にテーブルに本を並べた。
「すごい、これは相当な年代物ですね……。僕は城の書庫にも職業柄出入りするけど、こんな本は見たことがない」
 ほう、とため息をつきながらブライアンは言った。その横で、ジョンは無言で食器を片付け、テーブルにスペースを作る。
「そうかもしれない。これも元々は城に納められていてね、ずっと以前に王から私達の祖先が譲り受けたのだ。理由は伝わっていないが、おそらくこの本を守るためだったのだろう」
「おい親父、これって何が書いてあるんだ?」
「私も中は見たことがないからね」
「あ、そっか」
 興味津々といった顔でロジャーが本を一冊一冊チェックしている。
 本は全て絹の装丁が施してあり、所々ほつれている所もあった。色が随分落ちてしまっているが、それぞれ臙脂(エンジ)や紺色などの上品なものが使われている。そしてどれも古そうな鍵穴がつけられていた。
「鍵はこれだ。ジョン、君に渡そう」
「僕に?」
 困惑した顔でハリーを見るが、温かな笑みを受け、ジョンは大きく頷いた。
 鍵は細やかな細工の施された銀製のものだった。鍵穴に差し込むほうと反対側には、小さな宝石までついている。ジョンは彼から鍵を受け取り、一番手前にあった本の鍵穴に差し込んだ。
 カチッ。
 小さな音がして鍵穴は砕けてしまった。
「ジョン!?」
「うおー、俺んちの家宝だぞ、それ!」
 慌てたブライアンとロジャーの声に、ジョンは情けなさそうな顔をする。
「壊れちゃった……」
「心配することはないよ、そのように作られた鍵なのだから。さあ、開いてごらん。君の知りたいことが書いてあるかもしれない」
 頷いて、おずおずとジョンは茶色に変色した頁をめくった。
 細かい文字がびっしり並んでいる頁をじっくり眺めると、無言でまた次をめくる。
「古代文字だね、君読めるの?」
 おそるおそる本を覗き込んだブライアンがそっと訊ねた。
「うん、少しだけね」
「一体何を確かめるってんだ?」
「……」
 沈黙の答えにロジャーは不満そうな様子だったが、フレディがそっとロジャーの肩に手を添えてそっと囁く。
「今は待とう」
「ああ……」
 熱心に頁をめくるジョンと同じくらい、フレディはジョンを熱のこもった目で見つめていた。ほとんど悲し気といってもいいような表情を認めると、ロジャーも渋々大人しくソファに座り直す。
「どうしたのロジャー、まるで今日は借りてきた猫の様じゃないか」
「お前こそいやに気を利かせやがって。食器の片付けなんか、召し使いに任せればいいんだっつうの」
 悪意のない軽口の応酬に、ハリーはにっこりして立ち上がった。
「おやミスター、もうお帰りで?」
「君たちの邪魔をしたくはないからね。それに今夜はもう遅い。今夜しか時間が残されていないというならいざ知らず、そうのめり込む前に休む事も必要です。特に怪我を負っているような人はね」
 彼のウインクを受けて、ジョンは顔を赤らめて本を閉じた。
「お心づかいに感謝します、ミスター」
「いや、私は君を責めたいというのではない。君の気持ちは幾分ながらわかるつもりだ。これでも私の一族は影から我が王家をお守りしてきたのだから。何より、君の怪我が我が妻のせいで悪化してしまったのではないかと思うとね……。いや、クレアも悪気はないのだ、だから時々手に負えないのだが」
大げさに溜め息をつく彼に、ジョンは苦笑するしかない。実際肩の痛みは夜になって増してきつつあった。
「ではお言葉に甘えて、今日はもう休ませて頂きます」
「そうか。ベッドはこの部屋の上の階だ。それぞれ1つずつ部屋とベッドをあてがっているから自由にしてくれ。ではおやすみ」
 ベッドに入ったもののちっとも寝付けなかったブライアンは、夜の冷気に身を震わせながら部屋を出た。明かりは消され、ただ一ヶ所を除いて、廊下は冷たく清潔な闇に包まれていた。その月と星の明かりが差し込む窓際に、一つの人影がたたずんでいた。
「ジョン? 君、まだ起きていたの?」
 驚いて声をかけると、彼はゆっくりと振り返って、穏やかな笑みをたたえた。
「君こそ」
「僕は眠れなかったんだ。けど君は具合だってそう良くはないんだろう? また顔色が悪くなっているよ」
「そうかい」
 事も無げに答えると、ジョンはまた窓の外を見やった。ブライアンはそっとジョンの横に並んだ。
 しばらくするとジョンはまた口を開いた。
「さっき地図を見せてもらったよ。この先に、ホーセンがあるんだ」
「……そうだったのか」
 ブライアンは得心がいってうなずいた。ジョンの横顔は、月明かりに照らされて凄絶と いってもいい様子をしていた。
「ねぇジョン。君はいつかホーセンに帰るんだね」
 ブライアンの言葉に、ジョンは目を大きく見開いて彼をみつめた。
「……まだ分からないよ」
「そうなの?」
 ブライアンは微笑んで、目をそらしたジョンを見ていた。
「あまり考えた事がないんだ」
 嘘だな、とブライアンは思った。考えたくない、でも考えずにはいられない。そんなと ころではないだろうか。
「ブライアン、明日までは城に行くって言ったよね。時間は早いんだろう? 寝なくていいの?」
「うん、そうだね、寝ようと思ってはいるんだけど」
「眠れないなら、下の部屋の木棚の中に果実酒があるからそれを飲めば?」
「いい考えだけど、なんで君それを知ってるの?」
 早口で話すジョンに、ブライアンは苦笑しながら尋ねた。
「さっきロジャーが教えてくれたんだ、奥方様の手作りだそうだよ」
「……ちょっと飲むのが怖いかも」
 真面目に言ったブライアンだったが、ジョンはようやくクスクスと笑い出した。
「大丈夫だよ、さっきフレディもロジャーもがぶがぶ飲んでたから」
「……ってことは、君は?」
「そりゃあ傷に障るから控えたのさ」
「ああなるほど」
 明らかに笑いを堪えながらも澄ましたジョンの隣で、ブライアンはあくまで真面目くさって納得していた。
 星の明かりが常になく明るい。昨日よりも。
 夜空を見つめながら、ブライアンはぼんやりと様々な事に思いを馳せた。傷を負ったジョンに会ったのは昨日の今頃だった。たった一日しか経っていないのに、まるで何もかもが変わってしまったような気がする。先の見えぬ不安を覚えながら、ブライアンは楽しんでもいた。彼にとっては珍しい事であった。
「さて、僕もそろそろ寝ようかな」
 あくびをしながらブライアンは窓から離れた。
「果実酒はいいの?」
「嬉しいやら悲しいやら、寝酒をしないでもいいくらいに眠くなってきたんだ」
「ふうん、そう。じゃあおやすみ」
「おやすみ。君も早く寝た方がいいよ。じゃないと多分フレディや奥方様に怒られるだろうよ」
 苦笑して、ジョンはブライアンの背中を見送った。
 また一人になると、どこかほっとしていた。もともとそれほど開けっぴろげな性格でもなかったし、長い逃亡生活が身に染み付いているせいもあった。
 今は眠れない。考えるべき事が多かった。特に、あの五冊の年代記について。
 おそらくあの本は、ジョンの家には伝えられていなかったライの伝承や古い伝説が書いてある。古代の魔法について、ジョンは余りに知らなさ過ぎた。ジョンの指輪以外の魔法の行方、封印の方法、賢者たちのその後……。そもそも何故本が魔法とは無縁に思われたこの国に伝わっていたのだろう? 誰も何も知らないのだ。フレディを除いては。
 指輪の封印は既に解けかかっている。知識の少ないジョンの制御をとうに超えてしまっているのだ。これ以上放っておいたら、いつ封印が解けてしまうかしれない。そのとき力が暴走してしまったら、何が起こるだろう? 義母はその危険性にすら気付いていない。 ジョンは服の上から指輪をぎゅっと握り締めた。
 ホーセンを思う心はどこにいても変わらない。でも、何もかも投げ出してしまいたいと思う時もあった。
 星を見ていると、焦る心が落ち着いてくるような気がした。
 明日がまた来る。すべきことは多い。フレディと、また話をしたかった。


 翌朝、ジョンは高熱を発して起き上がる事が出来なかった。
 朝食を運んできたロジャーの母、クレアは、「迷惑ばかりかけて申し訳ありません」と潤んだ瞳を向けたジョンを一喝した。
「こんなときに謝る子がいますか! それに夜中にいつまでも寝ないで星なんか見て。これじゃ治るものも治らないわ。本当にいけない子、さぁちゃんとベッドに入って!」
 星を見ていた事はブライアンしか知らないはずなのだが、例の能力とやらでバレバレらしい。
 オートミールを新たに作らせ、彼女は甲斐甲斐しくジョンの身の回りの世話を始めた。
「はい、口を開けて、あーん」
 とスープを運ぶ彼女にジョンはぎょっとしてしまう。
「い、いいです」
「子供が遠慮するものじゃなくてよ」
「いや、だって……」
「だめよ、こぼしてしまうわ! 早く口を開けて」
「あ……」
「はい、いい子ね」
 顔を真っ赤にしたジョンの頭をぽんぽんと撫でると、笑顔で着替えまで手伝おうとする。
「いいです、これだけは本当に勘弁して下さい」
ジョンのいう事など気にも留めない。母性とはかくあるべしといった風に、彼女はにっこりと微笑むばかりだ。
「子供が照れる事ないでしょう。素敵な寝間着を持ってきたのよ、ロジャーに着てもらおうと思ったのだけど、あの子滅多にうちに寄り付かないから……」
「お願いですから、着替えだけは自分でさせて下さい!」
 すでにシャツのボタンをはずしかけていたクレアだったが、そのシャツを押さえ、後ずさりしながら必死に訴えるジョンを認めると、「そこまで言うなら」と残念そうに部屋を出た。
 扉が閉まるのを見届けたジョンは、ようやく深い息をついた。顔が熱かったが、熱のせいなのか興奮のためか、ジョンにはわからなかった。持ってきてもらったピンクの寝間着を見ると、どっと疲れがあふれるような気がして、ジョンはそのままベッドに倒れ込んだ。
「……ジョン? もう着替えられた?」
 返事のないのを不審がって、そっと扉を開けたクレアとフレディが見たのは、どこか幸せそうな寝顔でうずくまったジョンだった。

 

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