第十五章

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ブライアンは一人ジョンの眠るベッドの隣に腰掛けていた。少し冷えてきたので、窓を閉めようと立ち上がった折に、かすかなうめき声を聞いた。
「いけない……!」
「ジョン?」
額にうっすらと汗を浮かべ、ジョンは何かから逃れるように顔をそむけ、腕を上げたが、その腕はぶるぶると震えていた。やがてその手は力つきたようにパタリと下ろされた。ちょうど胸、おそらく指輪が隠されているだろう場所の上に。
「ジョン、いったいどうしたんだ」
ブライアンは見かねて声を上げた。ジョンはその瞬間に目を覚ましたが、その表情は脅えきっていた。
「心配しなくてもいいんだよ、ジョン。ここはロジャーの家で、僕らが昨日からお世話になっている。分かるね?君は夢でうなされていただけだ。ここは安心できる場所なんだからね」
ブライアンは持ち前の柔らかい声を、幼子に話す時のようにさらに優しく響かせた。実際、今のジョンは、幼い子供と変わりがなかった。
ジョンはまだ緊張を解かない様子でぎこちなく微笑むブライアンを見つめていたが、ゆっくりと体を起こし、部屋を見渡した。
「僕は、どれくらい眠っていたんだろう」
「そうだね、昼前からだったから、だいたい6時間ってとこかな。正確にはもっと経っているだろうけどね」
ジョンは肩に手をやった。ひどく引きつる。痛みは眠りに落ちる前より、いや昨日よりもひどくなっているように感じた。熱を持っているせいか、するどい痛みと、その周りにじんじんとする別の痛みが広がっているかのようだ。
「何てことだ……」
「仕方ないよ、君は大けがを負っているんだから。これで不眠不休で働かれでもしたら、僕の方が参っちゃうよ。いいから、君はゆっくり休むんだ」
ブライアンは優しく微笑み、温かいショールをジョンの背中にかけてやった。ジョンは落ち着かなげに視線を彷徨わせて言った。
「他の二人は?ロジャー、それにフレディはどこ?」
言いながら、先ほどまで見ていた奇妙な夢をジョンは思い出していた。現実めいた部分とまるきりの幻とに彩られ、混乱に満ちた悪夢。最後に浮かんだのは、闇に浮かび上がる小さな光だった。この夢は、ここ何日かの内にくりかえし彼の眠りに訪れるようになっていた。恐怖と興味を同時に抱き、彼はその夢の深淵を覗こうとしている。
――フレディなら何か分かるだろうか?
「……ああ、二人はちょっとした用事で出ているんだ。ところで、お腹空いたんじゃないかい?何か温かいものを持ってこようか?」
ブライアンが口を開く前のほんのわずかな間(ま)に、ジョンは気付いた。
「ちょっとした用事って?」
射抜くようなまなざしから目をそらし、ブライアンは困ったように頭をかいた。
「森の方へ……」
ブライアンは言いにくそうに言った。
「森?ここに来る途中に通ってきた道のはずれに広がっていた、あれのこと?」
「そうだよ、その奥に行ったんだ」
「何のために?僕からは隠さなきゃいけないようなことなの?」
ブライアンは俯き、何度か頭を振って、何かを考えているようだった。しかし小さな声で「わかったよ」と言うと、顔を上げた。
「本当は言わない約束だったんだけど……」
「だから何を?」
ジョンの声には苛立ちさえ含まれている。ブライアンはゆっくりと言った。
「二人は……探しに行ったんだ。魔法が使われた痕跡を」
「何だって?」
「昨夜、この国で魔法が行われた可能性があるんだ。それに関しては詳しく話すことは出来ない。しかし君の身に危険が及びそうだということだけは教えておくよ。それでその魔法なんだけど、彼等が手に入れたものを使って何かするとしたら、たとえ事故が起こっても周囲に気づかれず、人目につかない場所ということになる。そういうことであればあの森しかない」
魔法?彼等?「手に入れたもの」?
ジョンは彼の説明に納得していないようだった。黙り込み、じっとブライアンを見つめる。
「……これ以上は、もう話せないよ」
「足りない、あれだけじゃ。何を隠してる?」
「駄目だってば!第一、君は怪我人なんだぞ、寝てろよ!」
「お願いだ、ブライアン」
ジョンは熱のこもった眼差しをぶつけた。ブライアンの顔色が青ざめていることは重々承知していたのだが。
「嫌な予感がするんだ……。二人に何かあったらと、気になってしょうがない。僕のせいだとしたら尚更だ。ここで目をそらしても、どうにもなりはしないんだよ。僕も、君も」
ブライアンはもう一度ため息をついた。
「だから僕も行くって言ったんだ……。フレディの奴、そんなにジョンのことが心配なら自分がついてやればよかったのに」
「何のことだい?」
ブライアンは悲しそうに答えた。
「言っとくけどね、ジョン。僕は何も目をそらしたかったんじゃないよ。ただ、人には向き不向きってのがあるんだ」
一方、話題の二人は森の入り口をのんびりと馬で分け入っていた。
「今頃ジョンが目を覚ましたかもしれないねぇ」
栗毛のすらっとした馬に揺られて、フレディは上機嫌の様子だった。時たま美しいメロディーをハミングしてみせる。
「へぇ、わかるのかよ?」
ロジャーはお気に入りの逞しい白馬に乗っている。二頭とも、屋敷の厩舎につながれていた立派な馬だった。服は二人とも目立たぬように、城の城下にはありふれた地味な平兵士の制服を着ている。ロジャーは当然のようにその黒と白銀の制服をまとっていたが、それでも華やかさがあふれていた。フレディのすらりとした肢体にも、ぴったりとよく似合う。
「分かると言うより、感じるんだな」
「何が違う?」
「頭じゃなく心なのさ、ダーリン!」
「はーん。わかるような、わからんような、って感じだな」
「じゃあロジャー、君は馬に乗る時、『このタイミングで手綱をひこう』とか『このくらいの強さであぶみを…』とか思うかい?」
「……適当かもな、あまり意識しないから」
「適当というより、そうするべきだと感じるんだよ。それと一緒さ!」
ロジャーは首をひねった。
「じゃあどうしてブライアンは未だに馬に乗れないんだ?あいつ時々わけわかんねぇくらいに感覚でしか動かないってのに」
「ああ、彼は馬を乗り物として扱えないだけだと思うよ」
「つまり?」
「不器用なんだね」
ロジャーは深くうなずいた。
「それよりロジャー、先導してくれよ。日が暮れる前に現場に行かなきゃ」
「おう任せろ。この森ならガキの頃から遊んでるからな」
ロジャーはほんの少しだけ速度を速め、あるかなしかの細い小道を辿って行った。丈の低い薮がそこらじゅうを覆っていて、相当わかりづらい。フレディは辺りを注意深く見回しながら、遅れることなくついていった。
次第に森は暗さを増した。闇の帳が降り、星と月とがそれを彩る。
ふとロジャーが口を開いた。
「フレディ、お前ってさ」
「なんだい、ダーリン」
「夜が似合うよな」
「……どういう意味だい?」
静かな声で、フレディは問いかけた。
「いや、気を悪くしたんなら謝るよ、ごめん。ただ、なんとなく思っただけだからさ。別に昼間は似合わないとかいうんじゃないんだぜ」
ロジャーは慌てて言った。
「謝るなよ、ロジャー。怒っちゃいないよ」
「……いや、悪かったよ」
「参ったな」
フレディは苦笑して、ロジャーと並んだ。そのまま馬を進める。
「ある意味では、君の言ったことは正しいよ。光も闇も、同様に強すぎる場所で僕は生まれたんだからね。魔法っていうのはそういうものだ。正邪の区別なんか無しにね」
ロジャーはフレディの凛とした横顔を見つめた。
「夜は、光と闇を際立たせる。そして僕はその両方に属している……足下を御覧」
小道の両脇に、うすぼんやりと光るものがあった。近寄って見ると、それは見たことのない花だった。菫に似ているが、その花弁は月と同じような淡く冷たい光を放っていた。しかも数が多い。人間の一歩ごとくらいに、等間隔でその花は並んでいる。時々乱れるように咲き誇っていた。美しいが、どこかぞっとする光景だった。
「フレディ、こいつは?」
「魔力を帯びた何かが最近ここを通ったんだよ。星と月の光で、変質してしまったものが具現化したんだな」
「そういえば、まるで道案内でもしてるみたいだ」
「まさにその通り。さぁ、ここらで引き返した方が良さそうだ」
フレディは軽やかに馬の首をめぐらせた。
「なんで?!」
ロジャーはフレディの背中に甲高いハスキーボイスをぶつけた。
「一つは、もう痕跡とやらを見つけたからさ。この奥で、『賢者』は創られているだろうというね。これ以上行くのは今夜は危険すぎる。さしあたってはこれで十分だ」
「で、まだあるのか」
「そう!これが大事でね。僕は一刻も早く目覚めたジョンに会いたいのさ、ダーリン!」
「寝てても同じだろうに」
「ご明察だね、さすがはソウル・ブラザー」
軽口を叩きながらも、フレディが本気でジョンの身を案じていることはロジャーにはよくわかっていた。昨夜あんなことがあったばかりだ。いくらあの塔にいるといっても、警戒するに越したことはない。
ホーセンの連中は、『賢者』を蘇らせるためにジョンの指輪を狙っているのだろうか。国を手に入れるだけでは飽き足らず、世界に君臨するために。だとしたら、指輪を持たない彼等が暴走を始める危険性は十分にある。
ロジャーは素早く向きを変え、またフレディに並んだ。
「そうそう、さっきの話の続きだけどね」
「なんだ?今夜は大抵の話には驚かないぜ。なんてったって本物の魔法を見たからな」
「あれは魔法の欠片の欠片に過ぎないさ。それよりジョンのことだ」
フレディは声を少しだけ低めた。その声は静かだが鋭く、闇を貫いて溶けていった。
「僕は光と闇の両方に属していると言ったね。彼も同じなんだ。自覚してはいないかもしれないが……。やがて彼も光と闇の呼び声を聴くだろう」
二人はそれから何事もなく屋敷に帰った。その晩また殺人があり、殺された青年が両腕を失っていることを知ったのは、その翌朝のことだった。

 

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