第十七章

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ロジャーは楽しそうに馬を駆っていたが、フレディの声を聴くととたんに戻ってきた。
「メシ食ったらまた魔法の続き教えてくれよ。」
 にこにこと馬から降りてそう言ったロジャーに、フレディは微笑みながら首を横に振った。
「無理は禁物だよ、ダーリン!君なんか、ほら、息が少し上がってるじゃないか。一気に やっても意味がない、少しずつ慣れていくのが一番なのさ。」
「なんだよ、つまんねーなぁ。ほれブライアン、お前もこっち来いよ。メシだぞ。今日の練習は終わりだとさ。」
「僕はまだ疲れていないんだけど……。」
 明らかに不満そうな顔をしながら、ブライアンは木の上で風を吹かせた。
「ブライアンにはきっと魔法の才能があるんだね。この分じゃかなり上達するんじゃないかな?でもやっぱり今日はやめておいた方が無難だと思うよ。後で話したいこともあるし。」
フレディの言葉に、今度はロジャーが不満そうにつぶやく。
「じゃあ俺には才能は無いってか?」
 フレディはにっこりと笑って言った。
「そうじゃないったら!『Epee(剣)』と『Fleche(矢)』はともかく、『Cheval(馬)』はかなり高等な呪文に属すんだ。幻とはいえ生き物を作って動かすんだからね、なかなか、並大抵の才能じゃできないことさ。」
「へぇ、そうなのか……。どうだ、ブライアン!」
「どうせ僕は乗馬はできませんよ。」
「うお、至近距離で火の粉を飛ばすんじゃねーよ!」
 樹上のブライアンからロジャーは飛び退ったが、次いで弱々しい声を聞いた。
「あ、僕、降りられない……。」
「……知らねーぞ俺は。」
 なんだかんだ言いながら、ブライアンが降りるのを手伝ってやるロジャーを、いまだ道化姿のままのフレディがおかしそうに眺めている。一方で、そんな様子を、ジョンはじっと観察するように見つめていた。
 昨夜の夢が、頭のどこかで白昼夢のように浮かんでは消えた。あれはただの夢なのか、それとも近い未来に起こりうる出来事なのか?
(君は何を考えている?)
 フレディが不意にジョンに向かって振り向いた。そして、全ての不安を溶解してしまうかのような笑顔を浮かべ、手を差し伸べた。
「さぁ、ジョン!」
――今はまだ、何も考えるまい。
 ジョンは笑顔を作ってフレディの手を取った。
 普通の朝食を食べられるほどにジョンが快復を見せたため、朝食は本館でハリー、クレアとともに取ることになった。
「先ほど魔法を使ったそうだね」
 ハリーの言葉に、ロジャーはお気に入りの玩具を自慢する子どものように楽しそうに答えた。
「ああ、親父のくれた本の中に秘密があったんだ。ガキのころ寝物語で聞いたみたいな魔法が使えたんだぜ」
「でもロジャー、危なくないの?もしあなたや皆が怪我なんか負ったりしたら、私心配でたまらないわ」
「大丈夫だよ、意外に簡単だったぜ。」
「真実危ないのだったら、ジョンやフレディが僕らを巻き込むはずはありませんよ。」
ブライアンが穏やかな調子でクレアを諭すように言うと、フレディがそっと耳打ちした。
「…マダムのお世話を受けるこっちとしても、危険な目は御免被りたいところだしね。」
「フレディ、それはあんまりじゃあ……」
「実際にジョンは死にかけてるからなぁ……なぁジョン。」
 半分面白そうに半分申し訳なさそうにロジャーは言ったが、ジョンは顔を上げなかった。
「ジョン?」
「……あ、ごめん、何か言った?」
「どうしたんだよ、まるで上の空じゃないか。」
「ちょっと考え事があって……。」
 するとハリーは不思議な微笑みを浮かべて言った。
「君の不安ももっともだが、信じることなしに前には進めないものだよ。」
瞬間ジョンは表情を凍らせたが、いつもの笑顔でうなずいた。
「大丈夫よ、ジョン。あなたは信じることをなせばいいの。私たち皆がそう望んでいるわ。」
 クレアも慈愛溢れる笑顔で言う。なかなか話について来れていなさそうなブライアンとロジャーだったが、二人は顔を見合わせて「当然!」と言って笑った。
「もちろん僕もだからね、ダーリン。」
 フレディの言葉に、ジョンは穏やかな表情でもう一度うなずいた。
「わかってる。本当に感謝してるよ。」
 その落ち着いた様子のまま、ジョンは手早く食事を済ませた。フレディの話を、早く皆の前で聞きたかったからだった。少しばかり行儀は悪かったかもしれないが、気にする者はいなかった。フレディだけがじっとジョンの様子をうかがっていた。
 塔の小部屋に戻った四人は、ジョンのベッドの周りに集まった。ジョンとフレディは、ベッドに腰掛け、ロジャーとブライアンがその周りの絨毯に直接座っている。
「で、話があるって何なんだい、フレディ。」
 ブライアンに促されたフレディは、ちらりとジョンに目をやってから、口を開いた。
「魔法の、源についてだよ。」
「どういうこと?」
「ジョンの指輪に、ホーセンに代々受け継がれてきた魔法が封じられているということは以前に話した通りだ。そして、他にも魔法は伝わっているだろうということもね。それがこの国、ポラーニアなんじゃないかと僕は思っている。」
 ジョンは暗い表情でうつむき、沈黙している。
「俺たちの国にだって?」
 ロジャーは少々間抜けな声をあげたが、ブライアンは驚きのあまり言葉がでないようだった。フレディはかまわず話を続ける。
「何故僕がそう思うのかっていうとね、何よりハリーがくれたあの本の存在が大きいんだ。あれは、13人の賢者達が書いたものに違いない。あの古代文字は、ライの神官などの表記用の聖文字だったから。今はその文字が改良されて使われているけどね。しかし、どうしてそんな本がポラーニアに伝わってきたと思う?当然、賢者の一人がたずさえてきたからに決まっている。魔法が国を滅ぼしたことはわかっていただろう。しかし彼等は魔法を失うことを恐れて、封印するにとどめた。だからいつか魔法が世に現れても、それを制御するすべを遺しておこうと思ったのだろう。そしてこのポラーニアのどこかにも、魔法が封じられた。それは指輪かもしれないし、他の何かかもしれない。僕らは、それを今からどうにかして探す必要がある。ホーセンの追っ手が指輪などの”魔法の源”を見つけてしまう前にね。」
 フレディはここでようやく一息ついた。

「ホーセンの追ってって、ポラーニアに魔法があるってことを知ってるのか?」
 眉間に深いしわを刻みながらロジャーは尋ねた。
「おそらくは。ジョンがかなり早く見つかってしまったのも、きっと魔法の存在に気付き、既にポラーニアに潜入している者がいたからだろう。」
「それなら納得がいくな……。」
 深く考え込んでいる様子でブライアンがつぶやくように言った。
「ずっと不思議に思っていたんだ。何故ジョンがこの街についたその日のうちに狙われたのか……。ずっとジョンを追ってきたのだったら街に着く前に狙った方が連中には都合が良かったはずだから。きっと追っ手たちは偶然お尋ね者のジョンを見つけたのだろうね。」
「それはともかく。」
 フレディはせき払いをしてから本題に入った。
「”魔法の源”を探すために、今日のうちに城に行こうと思ってるんだ。おそらくホーセンからの追っ手も既にいることだろう。もしかしたらジョンの知り合いだっているかもしれない。もちろん僕らもジョンも身分を偽り、賓客として潜入するつもりさ。が、それでも危険には変わりない。どうだい?」
 沈黙。反対はない、が誰も口を開こうとしなかった。
「ジョン、君は?」
 ずっと黙っていたジョンは、ゆっくりと顔を上げた。
「異論なんかあるはずがない。ただ、君たちの安全を、僕は奪いたくなんかないんだ。こんなこと、今さら言う権利なんかないかもしれないけれど……。」
(いや、今、僕は嘘を言った。異論がないわけじゃない)
 またもや、あの夢が蘇った。
 手を伸ばす。しかし届かない。光は遠ざかり、やがて全身を刺されているような冷たい水に包まれる。助けを求めてもがいているのに、そこには敵意と悪意と、欲望に彩られた憎悪しか存在しないのだ。
――逃げることはできないぞ――
(あの夢が現実になるかもしれない。フレディ、君も何か見たんだろう?だから急いで僕らに魔法の初歩を教えたりしたんだろう?)
 本当は恐いんだ、と誰かに言いたいのをジョンは黙って堪えた。
「ばっかだなぁ、こういう時に遠慮とかしてどーすんだよお前!」
 呆れ返ったようにロジャーが言って、笑った。彼のあっけらかんとした話し振りに、自然に場の雰囲気が和む。
「ありがとう、みんな、本当に……。」
 ジョンは思わず声をつまらせる。フレディは一瞬ジョンの肩を抱いて、素早く立ち上がった。
「じゃあ決まりだね!まずは城へ行こう!みんな早く用意をしておくれ。」
「しかし君はどうする?僕らは『ミューラン国王子』ジョンの護衛をするってことだけど。」
ブライアンの問いに、フレディはうーんと考え込んだ。
「やっぱり同じようにお付きの人間とかの方がいいんじゃないかな。たとえば……メイドとかどうだい?」
「……性別は偽れないんじゃないかな?」
「俺はともかくとしてな!」
 からからとロジャーは笑う。どうやら魔法を使えたのが本当に嬉しいらしかった。

 

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