第二十二章
石碑。
指輪。
そして、ポラーニアからもたらされた、“源の石”。
3つの石はまるで泉のように、光をその内から溢れさせている。輝きはしだいに共鳴し、蛍のようにきらめいた。しかしその光の強さは蛍の比ではない。
「なんだか、会話でもしてるみたいだ……」
ブライアンがぽつりとつぶやく。緊張しているのだ。
「これは何かの兆しなんだね?」
ジョンがフレディを見上げて言うと,フレディは軽くうなずいた。
「封印が解けかかっているのさ。石の中を見てごらん」
ブライアンとロジャーが石に近付こうとすると,フレディは無言で彼等を制した。時おりシャルルにも同じ視線を送る。
ジョンが指輪の鎖を手に取ると,フレディはつけたして言った。
「深くは覗き込まないで」
ジョンは顔の前に鎖を持ち上げ,目を細めた。途端に目眩に襲われた。ダイヤのようだった石は,今は透明感を増し,複雑な形の水晶のようになっている。いや、花弁が多い花の形に近い。
「何か見えたかい?」
「中央で……火が燃えている」
「それはどんな色?」
「赤い……いや、青い。ゆらゆらしていて定まりがない」
「そうだろうね。もういいよ、目を離して」
ジョンが目を離すと,ひどい疲労が全身を包んでいるのを感じた。不思議なことに、フレディの言葉を聞いていると催眠術にかかったようになっており、それから覚めると疲れだけが残っていたのだ。
「フレディ、今のはいったい何?」
しかし答えを聞く余裕もなく、ぐらり、と体がかしぎそうになる。まるで水底に座っているような感覚だ。ジョンの意識は動かぬままそこにあるのに、体はゆるやかな海流になぶられるままになっている。強烈な眠気だった。
「そうだよ、俺たちにも説明してくれよ」
不服そうな声でロジャーが言う。ジョンにはそれすら、もう聞こえないも同然だった。彼はまたしても意識を手放しそうになっていた。
「ジョン、辛いかい?少し休もうか?」
フレディの気遣わしげな声も,どこか遠い。
(一時の気休めなんか要らない……どうかこのまま眠らせてくれ)
「兄さん、僕につかまって」
ほんの一瞬,ジョンは瞳を閉じていたらしかった。ふと気付くと,目の前にシャルルの心配そうな顔がある。
「どこか別の部屋に行きましょう。僕がお連れします。旅の疲れを癒さなければ」
ジョンは無言でうなずいた。それしか出来なかった。そして彼は暗い眠りの淵に落ちていった。
ジョンが再び目を覚ました時,彼は粗末なベッドに寝かされていた。
部屋自体はひどく狭く,ベッドが一つと小さな小物入れ用のタンス,そして机があるだけだった。見覚えのない部屋だったが,使用人のうちの誰かが使っていたのだろう。
ベッドのそばには椅子に座ったシャルルが微笑んでいた。
ジョンは先ほどの部屋まで感じていたはずのシャルルへの疑念を忘れている。
「ああ、ようやく目を覚ましてくれた。安心しました」
「僕は一体どのくらい眠っていたの?」
体を起こしながら尋ねる。服は地味な寝間着に着替えさせられていた。
「およそ一日」
「そんなに!」
「しかし何も起こりませんでした。疫病の流行ったこの城に、誰かが訪ねてくるなんてこともありませんしね……。あ、兄さんは疫病じゃありませんよ、ただの疲れです」
そこでシャルルは笑顔を崩し、ほとんど泣きそうな顔になった。
「そんなにまで疲れて……この国に戻って来てくれたんですね。国を救うかもしれない宝を携えて。しかもその肩の傷……」
「ああ、これか」
ジョンはためらいがちに傷口の包帯に触れた。かすかに痛みが走る。上半身の襟が大きいので,その痛々しい包帯は露になっている。ジョンは笑顔を作ってシャルルを見た。
「もう大したことないんだよ。追われていて,傷を負った時、フレディたち――さっきの3人――が助けてくれたんだ。彼等がいなかったら、僕はもうとうに死んでいたに違いない」
「そんな……。それはポラーニアでの出来事ですか」
「まぁね。でも襲われたのは一度や二度じゃないから」
シャルルはうつむいて唇を噛んだ。
「何もかも、僕の母のせいなんですね」
「そんなつもりで言ったんじゃ――」
しかしシャルルは聞いていない。
「母が、大それたことを考えたから……。あいつはホーセンを思いどおりに統治するだけでなく,今はもう封じられた魔力を蘇らせて世界をも手に入れようと企んだ,愚かな女だ」
「シャルル……」
こんな激しい言葉を使う弟を,ジョンは初めて見た。
「僕は,憎んでいるんです。母を。そして、その血を引く自分を」
うつむいたまま彼は絞り出すような声で言った。
突然,ノックの音がした。
「邪魔するぜ」
そう言って顔を覗かせたのはロジャーだった。
「どうぞ、入って下さい。…兄上,ではこれで」
「ああ、ありがとう。お前も休むんだよ」
にこっと笑って,シャルルはロジャーと入れ違いで部屋を出た。その後ろ姿を、ロジャーは軽くにらみ付けている。
「あいつ、なんかうさん臭いな……」
「え?」
「お前は何とも思わないのか?」
逆に訊かれて,ジョンは言葉に詰まる。ロジャーは更に続けた。
「お前がここでぐーすか寝てる間,あいつは『兄上の面倒は僕が看る』って言ってきかなくてさ。俺たちを部屋に入れようとさえしなかったんだ。王様は別だったけど。それに、最初に会った時から,敵意ってほどむきだしでもなかったけど、少なくとも好意は持たれてなかった」
「そうだった?」
「ああ。それに、本当は気付いてるんだろ?あいつがお前を見る目,なんかおかしいぜ。特にその指輪に――」
「ごめん、もうやめてくれないか」
ジョンの控えめだが強い口調に、ロジャーは口をつぐんだ。
「シャルルは、ここで僕が独りで周囲を敵に回していた頃,たった一人だけ僕の味方をしてくれていたんだ。僕だって、そりゃ少しは妙に思ったけど、でももう疑いたくないよ。さっき話していて,余計そう思ったんだ」
「……まぁお前がそう言うんならしょーがねえなぁ」
頭をかきながらロジャーは半分照れたように苦笑した。
「どうもびくびくしちゃっていけねーな。俺らしくもないぜ。そうだよな、お前の弟なんだもんな」
ジョンはそんなロジャーににっこりと微笑んだ。もともと人を疑うことをしそうにないロジャーらしかった。
「で、何か話が?」
「何か話が、じゃねーよ王子様!お前が寝てる間,俺とブライアンとでこの城中を見て回ったんだ。どこも荒らされてて、そりゃーひどいもんだぜ。疫病やらなんやらの騒ぎの後のせいなんだろうと思ったんだけど,どうもそれだけじゃないらしい。フレディとブライアンは王様とそのことについて話してるよ。俺はちょっと抜けて来た」
「どういう話なの?」
「これはフレディが言ってたんだけど……壁とか敷物とかの劣化が激しいんだ。何年も時が経ったかのような……それこそ『魔法』みたいにな」
ジョンはさっと顔色を変えた。
「まさか、僕がこの指輪を持ち出したから?」
「いーや、それは無い。これもフレディが言ってたんだけどな、ここが荒れてるのは,ここにはさっき石碑があった場所みたいに、魔法で満ちている場所があるかららしいんだ。フレディが言うには,どこかで強い魔法が使われると,その影響で周囲から魔法力が失われるそうだ。ある場所に集中的に光を当てると,その周りが暗く見えるのと似てるな。でも魔法の場合は『見える』んじゃなくて、本当に暗くなっちまうんだが。ところで元々魔法力の強い場所が近くにあれば,そこが集中して力を失うんだそうだ」
「それで城が荒れてしまったわけだね。魔法力を失ってしまったから」
「ご名答。……さぁ、ここで問題だ。何か思い当たる節はないか?」
「……ポラーニアでの、僕に似たバラバラ死体事件!?」
「またまたご名答」
でもバラバラ死体事件はないだろうが,とロジャーは小さく笑ってジョンをこづいた。
「そういえばあの事件はあれからどうなったんだろう?」
「さあなぁ。経過までは調べられないけど、たしか腕と胴体が消えてたんだったよな?そしたら今頃は足とか、あと頭とかが消えてるのかもしれない……う、やべ、想像したら吐き気が!」
「大丈夫?僕の横に寝る?」
「……それは嫌だ、あとが恐い」
頸を傾げるジョンをしり目に,ロジャーは眉間にしわを寄せて、とりあえずといった様子でベッドの脇に腰掛けた。
「まあ、お前はここにいれば心配ないさ。敵の奴らだって,いきなり俺らが懐に潜りこんでるとは思わないだろう。変装も完璧だったし」
「そうだね……」
しかし、情報は恐らくどこからかは流れているだろうという確信があった。これまでの長い逃走の経験が確信を生むのは,そうありがたいことではなかったけれども。
敵が狙っているのは「誰の」体の一部だろう?それに、蘇らせた賢者は、指輪なしでは機能しないのではないか?だとしたら、ジョンが狙われ続ける理由は大いにある。
それにしても。
魂を呼び戻し,異なる人体を使って一人の人間を蘇らせることが本当に可能なのだろうか。ライの国は,その行き過ぎた魔法の力故に滅びたのではなかったか?
いくら魔法でも、それは僕たち人間に許されていることではない,とジョンは思う。神も許しはしないだろう。それがたとえ悪の感情から生み出されるものでないとしても。
ふと思う。父は,母が死んだ時、どんな気持ちだったのだろうと。今になって初めて,母親の記憶がない自分が、とても悲しかった。
――忘れられるはずはないのに。あんなに美しかったひとを。
急に口をつぐんでしまったジョンを見て、ロジャーは勢い良く立ち上がった。
「心配するなって!何かあったら俺がコレで守ってやるさ」
にやりと笑った彼の手には、銀に輝く弓矢があった。今、魔法で作り出したらしい。出窓に立つと,ロジャーはその弓に矢をつがえて構えてみせた。
「すごいね、魔法、また上達したんじゃない?」
「少しずつ特訓してるからな」
出窓から射し込む光はとても弱い。その薄明と、それが作り出す影の中に,ジョンはわずかな希望を見出した気がした。