第七章

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「相変わらずのお貴族様ぶりだねぇ、ロジャー」
 半分あきれ顔でブライアンは言った。右手には本を、左手にはリンゴを抱えているが、どうもバランスが悪いらしく、落ち着きなくたたずんでいる。
「だって本当に貴族だもんよ。しっかし行儀悪いなぁお前、食うなら食う! 食わないなら食わない! いや、やっぱり食え。せっかくケーキもあることだしな、サッサと片付けちまえよ」
「ええ〜?! 僕が胃弱なのを知っていて……」
「ばか、フレディの前だぞ」
 ロジャーの耳打ちに、ブライアンはしばらくしてからはっと気付いたようにリンゴをほおばった。ブライアンの様子をじっと見つめていたフレディはにっこりして(もちろん一気に食べてしまったために、鳩尾を押さえて顔をしかめているブライアンの様子には気付かないまま)、ジョンから半分貰ったケーキをフォークで一口一口嬉しそうに口に運ぶのだった。ロジャーはようやく安心した様子でケーキの箱を開ける。
「おお、うっまそー」
 ロジャーの満面の笑みに対してブライアンは渋面である。
「すごく甘い香りだね……」
「甘いだけじゃねーぞ。こりゃ、なんか酒が入ってやがるな……。ブランデーかな?」
 生クリームの芳醇な香りを胸いっぱいにかいで、楽しそうにケーキを切り分ける。
「あ、ロジャー、僕ちょっとでいいから……」
「あ〜? 本が邪魔で食べにくいんだったら下ろせばいいじゃねーか」
「そういうことじゃなくてだねぇ」
「お前、フレディの前だってこと、忘れんなよ……!」
 ブライアンは半分諦めたようにため息をつき、ロイヤルミルクティーを一口含んだ。
「ああ、僕の胃に優しいのは、このお茶くらいのものだよ……」
「まどろっこしい言い方するなよな。ロジャーがいれてくれたロイヤルミルクティーはおいしい、そう素直に言えばいいだろ。……すげー、美味いよこれ! 中に入ったフルーツのブランデー漬けがなんとも……。ありがとな、フレディ!」
 フレディは満足そうにうなずいた。
「気に入ってもらえたようで何よりだよ、ダーリンたち!(このときブライアンは非常に迷惑そうな顔をしていた) さぁ、どんどん食べてくれよ、ジョン、君も……」
 フレディはそのままジョンに視線を移した。そしてぷっと吹き出す。
「ジョンってば……!」
「ええ?」
「うわ、あっははは、白ヒゲってかぁ?」
 口にいっぱいケーキをほおばったロジャーも、突然笑い出す。
 困惑ぎみにブライアンを見ると、気の毒そうな顔をして、しかもやはり必死に笑いを堪えているように、自分の口を指差しながら銀の盆を手渡してきた。鏡代わりにそれをのぞきこむと、なるほど口の周りにクリームをべったりくっつけている。慌てて口を拭ったが、みるみるうちに顔が熱くなるのと同時に、盆の中の自分の顔も紅潮してきた。
 でも、見えたのはそれだけではなくて――
「みんな伏せてっ!」
ガシャーン!
 ジョンの声が響いたのと、彼の座っているベッドの横の窓ガラスが割れたのは一瞬しか違わなかった。フレディ、ロジャー、ブライアンは反射的に窓から身をそらすことに成功した。が、自分の身を案じるのも一瞬のみ。
「ジョン!」
 目を開けてまず入ってきたのは、床にガラスの破片とともに転がったこぶし大の石であった。そしてベッドにうつ伏せに倒れているジョンの姿――
「ジョン! 大丈夫かい?!」
「なんとかね……」
 ジョンはゆっくりと起き上がり、駆け寄ったフレディに弱々しく微笑んでみせた。
「怪我は!?」
「いや、ガラスが少し飛んで来たくらいだったよ……運がいいのか悪いのか……痛ぅっ」
胸を押さえて、立てた膝に顔を埋める。
「どうしたの?!」
「なんでもない……いきなり動いたから傷口に響いただけ……別に開いちゃいないから心配しないで……それより、今の下手人を……」
「そうだ、一体誰がこんな真似を!?」
「……誰だか知らねーが、絶対許さねーぞ! おいブライアン、いつまで惚けてやがるんだ!」
 ロジャーはぼうっと座り込んだままのブライアンの襟首をつかんで立ち上がらせる。
「僕らでかれらを追いかけるの?」
 おそるおそる立ち上がるブライアン。迷いの無いロジャーとは裏腹だ。我が家と友人を傷つけられた彼は烈火のように怒っている。
 しかしその問いにはジョンが答えた。顔は、膝に埋められたままである。
「いや、無駄だよ、多分……それに、見当はついてる。フレディ、きっと、君を追って来たんだと思う……」
「なんだって?」
 ロジャーとブライアンが顔を見合わせ、フレディは何かに気づいたように表情を歪めた。
「詳しく話すと長くなる……フレディ、君には少し話したけど……実は、まだ隠してることがあったんだ。隠していてごめん、まさか、ここにまでこんな早くに手が回るとは、思ってもいなかったから……」
 荒い呼吸を整え、ジョンは顔を上げた。
 三人とも、ジョンの瞳に魅入られたように黙っている。
「実は、僕は、ホーセンの第一王子というだけでなくて……ホーセンを裏切った重罪人なんだよ。僕は、かの国の力の源を奪ったんだ……古来から伝わる、魔法の一部をね」
 しばらく、沈黙が続いた。窓の外は、さっきの騒ぎが嘘のように静まり返っている。遠くの市の音なら耳にはいるが、まるで現実味が無かった。
「……なんだか話が見えねーな……。お前さんが、『あの』ホーセンの王子だって……?」
 ロジャーがかすれた声をさらにかすれさせて口を開いた。
「そう」
「死んだはずだぞ」
「そう。公にはそういうことになってる」
 時々顔を歪めながらも、ジョンは淡々と言葉を紡ぐ。
「じゃああの噂は?! 化け物を呼び出して、その化け物に喰われたっていう話じゃねーか」
「ふふ、その噂は初めて聞いたよ。魔女にさらわれて、恐ろしい魔法の餌食になったっていうのなら知ってたけど」
 ジョンは冷めた笑いを浮かべた。
「お前なぁ!」
「……ロジャー、落ち着くんだ。彼は嘘は言ってない。少なくとも、今は静かに聞こうよ」
 ブライアンが静かになだめると、ロジャーは不承不承うなずいた。彼の柔らかな声には、いきりたった精神をも落ち着かせる力があるらしい。
「じゃ、続けてくれるかい?」
「うん、その前に、僕にもそのお茶をちょうだい」
「呑気だなぁ、お前……」
 ロジャーの呆れた声に、ジョンは苦笑する。
「こういうことは初めてじゃないからね……。もう慣れちゃったんだよ。それに、経験上やつらはもうこの近くにはいないはずだから。あ、ありがとう、フレディ」
 ロイヤルミルクティーのカップを手渡され、ジョンはにっこりした。
「どういたしまして、ダーリン。それより君、さっきの騒ぎでクリームが服にまでくっついちゃってるよ」
「うわ、本当だ」
「心配は無用さ! なんてったって、さっき僕が買ってきてたんだからね♪ 隣の部屋で着替えてくるといい。きっと似合うよ。その後で、何故君が追われることになったのか、あの二人に教えてやってくれよ。そして、何故僕が君と関わっていることがやつらに分かったのかも……」
 ジョンは神妙な顔をしてうなずいた。そして、小さな声で訊ねた。
「フレディ、君には分かっているの?」
「さぁ、僕にはさっぱりだね! だから早く戻ってきておくれよ」
 おどけるフレディに、ジョンはやはり小さな声で言った。
「ごめん。ありがとう」

 

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